川道の観音さま千手院ご開帳は平成24年11月11日まで【滋賀】
- 2012/11/08
- 13:00
滋賀 川道観音千手院
長浜市川道町にある「川道の観音さま」で広く知られる千手院で11月3日から11月11日まで17年ぶりのご開扉が行われている。 川道町は姉川の左岸にあたり水量が豊富で、集落の至る所に川が流れる。 この集落の南に木々に囲まれた川道神社があり、天照大御神・豊受大神・大物主命・大山咋命を祭神とする旧郷社。 和銅年間(八世紀初頭)の創建と伝わり浅井氏の崇敬を受け神領を寄進されている。境内には、若一王子神社や稲荷神社などもある。 ![]() |
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昭和14年頃の川道町。弔旗ののぼり旗を先頭に村葬式場の小学校へ向かう。殿前橋付近の様子 | |||
この川道神社境内の東にあるのが千手院で、南隣の尊住院とともに真言宗豊山派の寺院。 康正二年(1456年)永澄の開基と伝わる。いつの頃から千手院と呼ばれたのかは分かっていないが、もとは青龍寺といい、古くから「川道観音」の名で親しまれていた。檀家はなく川道神社と同様に、在所の人たちで大切に守られている。本堂に安置されているのは秘仏十一面観音立像で平安時代の作、33年に一度の開扉で、前回は平成8年。今回は17年目の中開扉で 11月3日から11月11日までの9日間、開扉される。 ![]() |
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川道観音千手院 幡母衣(ばんばら) | |||
境内には秘仏開帳の厄除けである長さ26メートルの杉の丸太で出来た「幡母衣(ばんばら)」が立てられ、この日は平日にもかかわらず17年ぶりの開帳を世話する在所の人たちや集落の人で賑わいをみせていた。幡母衣の上部には竹竿を細かく割ったものが放射状に取り付けられて風に揺られている。 ![]() |
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川道観音千手院 | |||
この川道町は、湖北地方で受け継がれている「オコナイ」の聖地とも言える場所で私はこの町に入るだけで気持ちが高ぶる。 「オコナイ」とは五穀豊穣と村内安全を祈願して1月から2月に行われる予祝行事。神様へ捧げるお供え物には秋の収穫を予め祝うということで、鏡餅や酒といった米から出来るものを備える。ここ川道では一俵の鏡餅を捧げることで有名であるのだが、この行事は豊作を願うことが一番の目的であろうが、この行事を若者も含め集落一帯が共同して行うために、信仰心や自治組織の強い絆が生まれるのだろう。 本堂の中央の厨子に祀られているのが秘仏の千手観音立像で国指定重要文化財。その左には平成二十三年に国指定重要文化財にしていされた御代仏(ごだいぶつ・みだいぶつ)である千手観音立像が祀られている。 この本尊と御代仏には云われがあるのだが、幾つかあるのでどれが正しいかは分からない。ここではその中の一つを紹介する。 昔、伊香郡杉野村(今の木之本町あたり)に悪病が流行り、お祀りしていた観音像に祈願しても効果がないことに怒った村人は、大水の時に川に観音像を流してしまった。この大水は川道でもおこり洪水に見舞われた数日後、この寺の僧が姉川下流の川淵で金色に輝く六尺の観音像を見つけ背負って持ち帰ると、川道の人々は喜び草堂を建てて本尊としてお祀りした。 すると、夢枕に観音様が立ち「他所から私を尋ねてくる人がいたら、淵の中にある良材で私と同じ形に彫って、それを差し上げなさい」と告げる。そこでこの寺の僧は観音様のお告げ通りに像を彫って安置した。これが今の御代仏であるが、今になっても訪ね来るものはいないという。 ![]() |
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川道観音千手院 本尊千手観音立像 | |||
本尊は平安時代10世紀頃の作で、この近くの来現寺聖観音にも通じる妖艶さに満ちた姿。檜の一木造りで上瞼が分厚く、遥か遠くを見つめている。大部分の脇手や化仏は後補であるが、天衣は正面で合掌した両手から足先まで流れるように垂れ下げている。 ![]() |
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川道観音千手院 本尊千手観音立像 | |||
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川道観音千手院 本尊千手観音立像 | |||
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川道観音千手院 本尊千手観音立像 | |||
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川道観音千手院 本尊千手観音立像 | |||
本堂左に祀られている御代仏は平安前期9世紀頃の作、本尊とほぼ同じ大きさの千手観音立像で身代わりになって差し上げられる運命にあった千手観音である。湖北地方で拝見することが出来る平安前期の典型的な姿で、42本の手は肉付きがよい。上半身には条帛を身に纏わず、上半身は裸形の姿。 ![]() |
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川道観音千手院 御代仏千手観音立像 | |||
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川道観音千手院 御代仏千手観音立像 | |||
この寺の本尊や、木之本町黒田観音や弓削町来現寺などと同じ様式で、平安時代前期の湖北地方の観音像と作風が同じである。県の調査により本尊よりも古い9世紀の像である事がわかった。 あとに彫られたとされる御代仏が平安時代9世紀、本尊が平安時代10世紀ということから、恐らくこの縁起は後からつくられたものなのだろう。本尊は大水で流れ着いたというが状態はよく、御代仏は同じ形に作ったと言うが姿は似ていない。もともとどちらかの観音像がこの寺に祀られており、もう一方の観音像を買ったか譲り受けたのだろう。そこで出来たのがこのドラマチックな縁起である。 なぜこの二躰の千手観音がこの地にあるのか本当のことは今では分からない。それでも川道に伝わる観音様の言い伝えはこれから17年毎のご開扉で多くの人に語られることだろう。 千手院の境内沿いの南側には、大日如来坐像を本尊とした尊住院がある。 ![]() |
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川道観音千手院 | |||
このお堂の左には聖観音立像が安置されている。滋賀らしい典型的な聖観音立像で肉付きや表情がとても愛らしい。通常は予約が必要だが、千手院のご開扉の間は本堂裏手の河濯大権現のご開帳も併せて行われている。 川道観音千手院HP:http://homepage2.nifty.com/kawamichi/ 所在地:滋賀県長浜市川道町452 JR北陸本線「長浜」駅下車、タクシーで約10分、 または湖国バス高山線「川道南」バス停下車徒歩約1分 拝観時間:ご開帳時は9:00~16:00 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
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参拝日:2012/11/07 |
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