幅50cmの県境「寝物語の里」
- 2012/09/21
- 21:30
滋賀 寝物語の里
滋賀県と岐阜県の境には「寝物語」と呼ばれる里がある。 司馬遼太郎の「街道をゆく」というシリーズに登場したのを以前読んで一度訪れたいと思っていた。 そのお伽話にでも出てきそうな名前の里へ行ってみようと、湖北から帰る途中に寄り道をすることに決めた。 場所は中山道の柏原宿。 滋賀県の長浜方面から国道365号線を関ヶ原方面に走り、伊吹山南麓の「高番」交差点を南東に5km。のどかな田園風景の中を走ると柏原の宿場町へと到着する。 中山道は江戸時代の五街道のひとつで主要道路の第一として東海道があり、その裏街道として中山道がある。中山道は京と江戸を結んだもので、木曽を通り江戸に入ることから木曽路とも呼ばれた全行程約540kmの街道。 JR柏原駅を中心に広がるのが柏原宿。中山道67宿のうち江戸より60番目の宿場町である。 柏原の一つ手前が美濃の今須、そこから近江に入り柏原、醒ヶ井、番場、鳥居本、高宮、愛知川、武佐、守山、草津と宿が続き、 草津宿で東海道と合流し京都に至る。 ![]() |
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寝物語の里 | |||
柏原宿の長さは13町(約1.4km)とこの辺の宿では一番長く、北は伊吹山、南は鈴鹿山脈に挟まれた谷間の街だった。 街並みは江戸時代の面影を残すようにと町の人達が協力して綺麗に整備されており街道巡りを楽しむことが出来る。 柏原宿歴史館に入ると有名な伊吹もぐさの展示などがされていた。もぐさとはお灸のことで、薬草の多い伊吹山で採れた 腰高ほどの高さに育ったよもぎの葉の裏側の白い毛がもぐさになる。 江戸期には10軒ほどのもぐさ屋がこの街道沿いにあったようで、旅人たちはこの宿場でもぐさを買っていったという。面白いのがすべてのもぐさ屋の名が「亀屋〇〇」という名で、これは恐らく店名による不平等さをなくすための近江商人の考えなのだと思う。 もぐさ屋の中でも一番有名なのは今も残る「亀屋佐京」で、安藤広重の描いた「木曾街道六十九次」というシリーズの柏原宿のくだりの絵にも「亀屋佐京」が描かれている。 亀屋佐京の名を一躍有名にしたのが、亀屋の松浦七兵衛(1789年~1850年)で、江戸へ商いに出た際にその土地土地であげた利益を吉原で散財した。そして一切の利益を吉原につぎ込みすっかり有名になると、七兵衛は吉原の遊女にこの唄を吉原に来る全ての客に歌い聴かせてもらうようお願いをした。 その唄は、「江州柏原 伊吹山のふもと 亀屋佐京の きりもぐさ」 その願いを承諾した遊女たちは三味線に合わせて歌うようになり、亀屋佐京の名が江戸中に広まったのだという。これは今でゆうコマーシャルソングで、その覚えやすい歌詞と伊吹山という効能のありそうな言葉選びが、その後の利益をもたらすことになったのだという。 ![]() |
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寝物語に話を戻そう。 柏原宿を岐阜方面に走ると宿場町の雰囲気が消え、JR東海道本線が中山道を分断するように走る。 線路を超えさらに進むと「長久寺」集落に入る。この集落の東端が寝物語のテーマとなった里だ。 集落の外れにいくと道端に二本の碑が建つ。「近江美濃両国境寝物語」と刻まれたその碑の間には、幅50cmほどの溝に水が流れている。 この碑の反対側には今も二件の民家があり、この溝のような小川一本を隔てて建っていた。この幅50cmの溝が美濃と近江、岐阜県と滋賀県を分ける県境だった。 その昔、国境の小さな溝を隔てて美濃側の旅籠「両国屋」と、近江側の旅籠「亀屋」がありそこに泊まった旅人が壁越しに聞こえる声から 同じ人物を慕う者同士と分かり、壁越しに語り合ったというのが「寝物語の里」の由来。広重の「木曾街道六十九次」には今須宿の絵にこの風景が描かれている。 ![]() |
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石碑を眺めていると美濃側「両国屋」があったであろう所に住む老婦人がわざわざ出てきてくださり、家に残っているという古い一枚の額を持ってきてくれた。 ![]() |
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老婦人は大阪の生まれで戦時中にこの地に疎開してこの家に嫁いだのだという。「寝物語」と書かれたその古い額を見せてもらうと確かに溝のようなものを一本隔てて旅籠らしき2軒の建物が写っている。そして、左隅の印には「濃州不破郡今須村両国屋」と押されていた。間違いなくこの家に伝わったものだろう。 歴史だけ見れば興味深く夢のある話だが、実際は長久寺集落にありながら一軒だけ岐阜県の扱いのために回覧板は500m離れた今須の集落から回ってくるのだという。 「村八分にされているみたいでなんか嫌だわ。」と冗談交じりに笑って話してくれた。 ![]() |
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美濃側に少し行くと、芭蕉が野ざらし紀行で詠んだ「正月も 美濃と近江や 閏月」という句碑がある。 これより東は今須宿へと向かう。中山道を分断するように国道21号線と名神高速が走る。裏街道として中山道はひっそりと残ってるが、この里は江戸の時代から今日まで美濃と近江の境であり東文化と京文化が接する大きな役割を持った隠れ里だった。 寝物語の里HP:ナシ 柏原宿歴史館:http://www.za.ztv.ne.jp/habiro/ 所在地: 滋賀県米原市長久寺
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参拝日:2012/09/05 |
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