七寺、栄国寺 名古屋市中心部の仏像をもとめて【愛知】
- 2012/07/07
- 15:00
名古屋市 七寺→栄国寺
私も参加している名古屋仏像研究会での集まりの席に中部経済新聞社の記者さんがいらしたのがご縁で、 名古屋市内の2ヶ所の寺院の取材を案内させていただいた。 テーマは「トレンド」ということで、若い人に人気の「仏像」にスポットを当てた取材となったわけですが、 名古屋市内は平安時代あたりの古いものが空襲でほとんど焼かれてしまっている土地なので、なかなか地元のお寺に仏像を拝しに行くという機会は少ない。 そのような背景の中でも、仏像が残り守り続けていらっしゃる七寺と栄国寺を案内することにした。 ![]() |
||||
七寺 | ||||
まず最初に向かった先は七寺。 大須観音からアーケードの仁王門通りを大須通に向かって歩くと5分ほどで着くのだが、ほとんど知られていない。真言宗の歴史ある古寺で、奈良時代の天平七年(735)、僧行基によって開創されたと伝えられている。 今では敷地の半分が貸駐車場という状態で名古屋市中心部でよく見られる寺の経済風景だ。古地図を見ると分かるが、当時の境内は7000坪と広大で大須観音と境内を接していたほどで、寺名のいわれとなっている七堂伽藍を備えた大寺であった。 昭和20年3月19日の空襲で、焼夷弾が落ちたために一瞬でこの辺りは火の海になったという。本尊や七堂伽藍の全てが焼失し、建物は経蔵一棟のみが焼失を免れた。消失前の本堂には丈六の阿弥陀如来坐像を中心に、半丈六の観音菩薩坐像、勢至菩薩坐像の三尊形式。さらに2メートルを越える二天の立像を安置されていた。戦前から国宝指定を受けていたために消失前の写真が遺されている。その写真を見せていただいたが、京都や奈良でもなかなか出会えることのない迫力のある堂内だった。 そして、この時にかろうじて救い出されたのが、その中で最も軽く小さな観音菩薩と勢至菩薩の二躰。現在は国の重要文化財指定を受けており、本堂で拝見することが出来る。 ![]() |
||||
七寺 左が観音菩薩、右が勢至菩薩 | ||||
![]() |
||||
七寺 勢至菩薩 | ||||
像高137cmの平安仏であるが、名古屋市内では戦災の影響もあり平安仏を拝見することの出来る寺は少ない。その中でも、特にこの二躰の観音像は歴史を物語る上でも重要なものとされている。 平安仏でありながらどちらの観音像にも玉眼が入っている。この玉眼を用いるのは鎌倉時代からとされるが、奈良長岳寺の阿弥陀三尊像や、この両菩薩のように平安時代末期の仁平年間(1151年から1154年の4年間)の作に見られる。 これは、平安貴族の世が終末をむかえ、これから来ようとしている鎌倉武士が権力を握る新たな歴史の過渡期を物語るものなのだろう。新たな時代を水晶の輝きが照らし出している。そんな姿だ。 ![]() |
||||
七寺 住職と記者 | ||||
住職か長老が在宅の時は、拝観料500円でこのように内陣に入れて頂きお話を聴きながら間近で拝見することができるので、予め事前に予約をしてから参拝に訪れるのがいいだろう。 さて、七寺の次に向かったのが栄国寺。七寺から歩いて10分ほどで到着する。ここへは江戸時代のメイン通りであった本町通りを歩きながら向かう。 名古屋の御坊さま東別院の北、道路を一本隔てた所に栄国寺はある。七寺では貸駐車場があったが、ここでは幼稚園経営だ。 この辺り一帯は名古屋に城下町ができた江戸の初期には千本松原といい、尾張藩の罪人処刑場であったという悲しい過去がある。 当時幕府はキリスト教を禁教とし、寛文四年(1664)には改宗に応じないキリスト教信者200余名が処刑された。 ![]() |
||||
田中神社 | ||||
境内の南側には寺院では珍しい切支丹塚があり、十字架を模した石塔なども拝見することが出来る。 その後、処刑場は今の西春日井郡に移され、時の二代藩主徳川光友公が丹羽郡塔ノ地村(現在の犬山市塔野地)の薬師寺の阿弥陀如来像を本尊に迎え、栄国寺と改めた。 本堂及び切支丹遺跡博物館は100円の拝観料で拝見することが出来る。 ![]() |
||||
栄国寺 本尊阿弥陀如来坐像 | ||||
この阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作で、八事の興正寺大日如来、熱田の雲心寺阿弥陀如来と並んで名古屋三大大仏の一つと言われている。 丈六の寄木造りで、七寺で焼失した本尊の阿弥陀如来とほぼ同じ像高をもつ。七寺の後にこの栄国寺へ寄れば、七寺の過去の勇姿を想像することも出来よう。他には清涼寺式釈迦如来や五臓六腑を胎内に納めた阿弥陀半跏像などが本堂に安置されている。住職が中尊寺を訪れた時の黄金の輝きに心を奪われたらしく、堂内は漆を塗った上から金箔を貼った絢爛豪華な造りをしている。 ![]() |
||||
栄国寺 馬頭観音坐像 | ||||
取材となると色々と話が聞けて発見もある。上の写真は馬頭観音坐像であるが、公開していない埃だらけのお堂の片隅に安置されていた。 鎌倉時代だろうか。カメラで写すとここまで明るく取れているが裸電球一つのお堂ではその像容を把握することが不可能だった。 栄国寺のある橘町は七寺のように焼夷弾が落ちたのだが、不発弾だったようでこの辺りは焼けなかったという。 その云われから本尊は別名「火伏せの弥陀」とも言われている。この馬頭観音もなぜここに安置されているのか分からないとおっしゃっていたが、恐らく他の寺院から火伏せの寺へと移されたものなのかもしれない。 と、言うわけで戦災にあった二つの寺院を中部経済新聞の記者さんと回った。仏像ブームの火付け役である若い女性には拝観予約の必要な寺院は少しハードルが高い気もするが、7月中の紙面で特集されるので楽しみに待つことにしよう。 若い女性が少しでも多く仏像に向き合い、手を合わせてくれると嬉しい。 七寺HP:ナシ 所在地:愛知県名古屋市中区大須二丁目28番5号 名古屋駅より地下鉄鶴舞線「大須観音」駅下車、徒歩約3分 拝観時間:要予約 拝観料:500円 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
大きな地図で見る 栄国寺HP:ナシ 所在地:名古屋市中区橘1-21-38 名古屋駅より地下鉄鶴舞線「上前津」駅下車、徒歩約11分 拝観時間:9:00~17:00 拝観料:100円 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
大きな地図で見る |
||||
参拝日:2012/07/05 |
スポンサーサイト