永昌寺 根本中堂と結びつく地蔵菩薩立像【滋賀】
- 2012/03/22
- 21:00
滋賀 永昌寺
甲賀市の永昌寺は寺伝によると綾野天満宮の別当寺で、その後享保年間(1716~1735)に南の飯道山智積院の僧霊澄の代に比叡山の末寺となったと伝えられている。野洲川と杣川に挟まれた土地で昔は宇治川原村と呼ばれていた。 ![]() |
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永昌寺 | |||
水口町宇川の集落に永昌寺はある。 車だと甲賀土山インターが最寄りとなるので土山町を過ぎてから水口町に入り野洲川を越えたら宇川の集落へと着く。車だと30分もかからない。 ![]() |
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正面を進むと天満宮、左の道を進むと永昌寺 | |||
土山は茶所で、インターを降り国道1号線を西に進むと多くの茶畑に囲まれる。この茶畑がなくなると水口町に変わる。お茶というのは霧が大事なようで土山は霧が多くお茶に適しているのだという。一方、その隣の水口は霧が少ないため茶畑は殆ど見られない。 ![]() |
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永昌寺 本堂 | |||
甲賀の寺は、比叡山延暦寺の建立にあたって最澄が用材をこの地に求めてきた時に創建されたと伝える寺が多く、この永昌寺の本尊地蔵菩薩立像もその時に作られたと伝わっている。 ![]() |
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永昌寺 十一面観音立像 | |||
地蔵菩薩立像は本堂裏の収蔵庫に安置されており、事前に拝観のお願いをすると開扉していただける。 僧形神のような姿をしているが、これと全く似た姿の像が隣の湖南市にある善水寺の帝釈天像とよく似ていることから、同じ所で作られたものなのだろう。なぜこの地に移ったのかは分からないが、比叡山根本中堂との繋がりのある像であることに間違いない。 ![]() ![]() |
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永昌寺 十一面観音立像 | |||
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永昌寺 | |||
檜材の一木造で高さは154.9cm上半身は胸元を大きく出さずにVの字形に着衣を表している。 翻波式の衣紋はゆったりとしていて美しい。頭部は面長で目鼻口がやや中央に寄せられている。 左手は宝珠を掌に乗せやや大きく前につき出す。 地蔵菩薩と言うよりも僧形に近い力のこもった姿をしている。 長く秘仏として祀られていたが、この収蔵庫へと移されてから注目されるようになり、全国の美術館や博物館へ出張されることも多い。平成24年9月8日から11月25日まで東京の三井記念美術館「特別展 琵琶湖をめぐる 近江路の神と仏 名宝展」への出展が決まっている。 さて、ここまで来たなら足を伸ばしてもう一ヶ所だけ訪れて欲しいところがある。隣の集落なので歩いていくことも可能だ。 私はいつもおおよその目的地だけを決めてゆとりのある時間配分をしている。それは私が寄り道をするのが大好きなためで、この地へも永昌寺さんと決めていた時間よりも早く到着したためにうろうろとしていたら偶然見つけた。寄り道をする本当の目的はその土地の空気を感じるためなのだが、こうゆう偶然の発見があるから寄り道がやめられないとも言える。 場所は甲賀市水口町岩坂。道標などは全くないために探しづらいところにある。 最寄りの駅である貴生川駅からは、杣川沿いを西に歩き二本目の新宇川橋を渡り線路を越える。すぐの道を左に入ると水口町岩坂の集落で、十三仏はその集落入口すぐの右の丘の中にある。十三仏が刻まれた大きなもので、金勝山の狛坂磨崖仏のような大きさと迫力がある。詳しいことは分かってはいないが、それほど古いものではなく幕末から明治にかけてのもののようだ。 ![]() |
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岩坂の十三仏 | |||
岩坂の地はその昔、金持ちの家が多く建ち財力があった。その中の一軒の富豪が、この石仏を寄進されたものだと言われている。近くには三雲という地がありここは今でも石切り場がある。石には恵まれた土地でこの地の石に間違いはない。裏は墓地になっており古墳もある。古墳の天井石ではないかという説もあるが、それにしては大きすぎる。 ![]() |
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岩坂の十三仏 | |||
きっと信仰心の高い方が、集落の平穏を祈って建てられたのだろう。詳しいことは分かっていないがその大きさとロケーションには圧倒させられた。 永昌寺HP:ナシ 所在地:滋賀県甲賀市水口町宇川1050 JR草津線「貴生川」駅下車 車で約10分 JR草津線「貴生川」駅下車 バスで約10分、宇川東バス停から徒歩5分 拝観時間:要予約 拝観料:300円 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
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参拝日:2012/03/14 |
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