奥明日香栢森の綱掛神事【奈良】
- 2012/01/15
- 20:00
明日香 栢森の綱掛神事
石舞台古墳から吉野へと通じる谷間の地域を奥明日香と呼ぶ。 その道の脇には万葉集に幾度も詠われた飛鳥川が流れていて、今でも綺麗な里川の風景を残している。 飛鳥川沿いの道はかつて吉野の離宮に行幸した帝が通ったとされる道でもあり、 山に囲まれた里川の風景は、古代への想像を掻き立てる要素を充分に持っている。 飛鳥川の源流は芋ヶ峠と入谷にあるようで栢森、稲渕集落を北に流れ飛鳥の様々な遺跡を縫うようにして橿原市へと流れる。 上流にある栢森集落を以前訪れた際、集落にある龍福寺の岡村住職に兼務されている入谷の地蔵寺を案内していただいた。 ![]() |
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栢森 龍福寺 | |||
その日は8月の暑い日中で、入谷の地蔵寺から栢森の龍福寺へと場所を移し色々と話を聞かせていただいた。 すると、栢森集落の入り口に掛けられた女綱(雌綱/めづな)という勧請縄の綱掛神事を この住職がされているということがわかった。 勧請縄とは五穀豊穣、子孫繁栄を祈り、さらに飛鳥川をつたい疫病が入りこまないようにするために 古来より年に一度掛け替えられてきたものである。 何かの本に、隣の稲渕集落の綱掛は神事として宮司が執り行うのに対して、 女綱は綱掛神事を仏式で法要されるという事が書かれていたのだが、 まさか目の前の人がその人とは思いもよらず驚いたものだ。 ![]() |
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栢森の女綱 | |||
男綱と女綱はその名の通り男女のシンボルがそれぞれ象徴として掛けられている。 その当時のこと、また勧請縄のことに関しては別に記してあるので今回は省略する。 (2011年09月18日の記事http://butsuzoworld.blog.fc2.com/blog-date-20110918.html) 住職から毎年1月11日に綱掛を行うので見に来たらいいとお誘いをいただき、 風が強く寒い冬の日であったが、栢森へと車を走らせた。 栢森の手前の稲渕では、すでに男綱が新しく掛け替えられていた。 ![]() |
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稲渕の男綱 | |||
男綱も女綱も飛鳥川をまたぐようにして掛けられている。昔は稲渕の綱掛けも1月11日に行なっていたのだが 時代が進むに連れ、人出の確保も難しく成人の日にあたる連休の日曜日が綱掛けの日に変更された。 一方、栢森の女綱は昔から変わらず1月11日を守り続けている。 事前に住職から綱掛けは昼から綱を編み午後4時頃から法要を行うと聞いていたので、 少し早めの午後3時に栢森に到着した。このような集落の行事というのは往々にして時間に正確ではないからだ。 飛鳥川沿いに車を止めて栢森集落へと歩く。 この集落へのアプローチは、残された明日香に住む人々の風景そのもので美しい。 集落に入ればまるでタイムスリップしたかのような景色へと変わる。 ![]() |
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栢森集落 | |||
集落に入ってすぐの倉庫では、村の人々が藁で縄を編んでいる。 その横では女綱の象徴である女性のシンボルが形作られていてその中心には橙が付けられていた。 ![]() ![]() |
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女綱のシンボル | |||
最後に御幣と榊の付けられた二本の綱を最後に作り作業は終わる。 ![]() |
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御幣と榊の付けられた二本の綱 | |||
写真が綱掛けに使用する一式で、その中には竹を十字に裂きその先端に、縦4個、横4個に配した蜜柑を 竹串に刺して挟み込んだ独特なものがある。なぜこれを作るのかというのは村の人は分からないという。 ![]() ![]() |
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栢森の綱掛神事 | |||
おそらく柑橘は古代から日本にもあり古事記や日本書紀にも登場する。 食用ではなく薬用として用いられていたもので、これを真っ直ぐに伸びる竹に付けることで村人の健康を 祈願したのだろう。この蜜柑は綱掛神事のあと人々に配られていた。昔はこれを子供たちに与えて健やかに育つようにと願ったのかも知れない。 午後3時半、全ての道具が揃うと龍福寺の住職を先頭に完成した勧請縄を村人が担ぎ飛鳥川へ運ばれる。 ![]() |
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栢森の綱掛神事 | |||
厳かなというよりも村祭りといった盛り上がりで声を掛け合いながら村を歩く。 それでいてみな誇らしげな顔をしているのは、この神事が一年で大切なものだということを小さな頃から教えられてきたからであろう。 ![]() ![]() |
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栢森の綱掛神事 | |||
午後4時、飛鳥川に出て栢森の集落の入口に到着すると福石(陰物ともいう)の前へ綱が運ばれる。 神饌を供え、住職が飛鳥川に向かいお経を唱える。栢森が仏式で行うのはこの村に宮司がいないためで、 その昔は宮司が行なっていたという。 ![]() |
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栢森の綱掛神事 | |||
午後4時半、法要が終わると村人たちが対岸へと渡り今まで掛けられていた女綱を外し、 その日に編んだ新しい綱を掛けてゆく。その一方で外された綱はその場でとんどとして燃やされる。 ![]() ![]() |
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古くなった女綱はその場で「とんど」として燃やす | |||
綱の中心に御幣のついた二本の竹と陰物をつけるのだが、一年間外れることがあってはならないので取り付けにはかなりの時間を要していた。最後に法要の行われた方の山の上から綱を引っ張ると完成となる。 ![]() |
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栢森の綱掛神事 | |||
農耕地帯であるこの地域にとって飛鳥川の水というのは昔から生活に欠かせない賜物であると同時に、 政治の中心であった平野部の都から吉野へ向かうとこの辺りで一気に空は山々に囲まれて狭まる。 そしてその狭まった口を抜けると吉野が広がる。 昔の人々は、この狭まる奥明日香の一帯に悪い気のようなものが滞留すると考え、それを防ぐために 二本の勧請縄を張ったのかも知れない。広い大地を飛鳥の都と吉野とに分けると狭まった口の部分に 当たるのが稲渕と栢森だ。都からの悪疫を村に入れないための勧請縄が二本であるというのは、護りをより強固なものにしようと考えたのだろうか。 ![]() |
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栢森の綱掛神事 | |||
そして村の安泰と五穀豊穣、子孫繁栄を願うのである。 田植えと子孫の繁栄は、男女のシンボルが重なりあうことに例えれば、より強い力を持つと考えられたのだろう。 ![]() |
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栢森の綱掛神事 | |||
所在地:奈良県高市郡明日香村大字栢森(女綱) 日程:1月11日(毎年) 女綱へは石舞台古墳から車で約10分、徒歩で約50分 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
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参拝日:2012/01/11 |
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