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日本全国の仏像や寺院の情報を解かりやすくお伝えします。
平成二十四年正月、湖北の観音様にお会いしたくて、車を走らせた。 ふと思い立ち湖北へ向かったので事前の拝観予約は何処へもしておらず、予約の必要のない渡岸寺観音堂へと向かった。 ![]() |
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渡岸寺観音堂(向原寺) | |||
三日前に降った雪が境内にまだ残っていたが、去年に比べれば積雪は少なく移動しやすい。 渡岸寺観音堂の十一面観音は貞観時代の優れた檀像で、この像については多くの人がご存知であろうから省略する。 渡岸寺で国宝十一面観音を拝したあとは、まだ時間もあったので唐川の赤後寺へと行くことにした。ここは拝観予約が必要な寺院ではあるが、同じ高月町にある西野薬師堂と同じで当日でも電話をすれば参拝ができる。 だが、この日は正月ということもあり、世話方さんが当番だからといっても電話をしてわざわざ来て頂くというのは気が引けたので、行ってみて運良く世話方さんが境内にいれば観音様を拝見させていただこうと半ば諦めて渡岸寺観音堂を出発した。 ![]() |
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日吉神社(画面右奥が赤後寺) | |||
琵琶湖沿いの国道8号線を北へ向かって「千田」交差点を西へ走る。北陸自動車道の高架下を抜けると唐川の集落に入り、標高200m程の湧出山の南の麓に唐川の赤後寺はある。 赤後寺は日吉神社、長照寺と同じ境内に並び建つ無住の寺院で、日吉神社の大きな鳥居をくぐり石段を登るとその先に赤後寺が現れる。 ![]() |
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赤後寺 | |||
ここの観音堂はどっしりとした立派な造りであるが、冬場はテントが張られており外から拝見することは出来ない。テントで囲っているのは、工事ではなく吹雪いた雪がお堂の中に吹き込んだり屋根に積もった雪が、お堂の柱や床に落ち腐食するのを防止するためで、渡岸寺観音堂でも白いテントに覆われていた。湖北にある無住のお寺ではよく見る冬の光景である。 赤後寺の境内まで行くと世話方さんが境内の掃除をしていらっしゃった。 聞いたら、ほんの数分前に大阪からお礼参りに家族で見えた方がいたようで、 そのまま帰らず境内の掃除をし始めた所だという。 「神社の行事で酒を飲んでしまって酒臭いかもしれん」と世話方さんが言うので、 その行事が気になり聞いてみると、ニ月に行う"オコナイ"の番を決める玉くじを集落の人々で引いたのだという。 ※オコナイ…「行い」「神事」とも書く。先祖の霊魂を祀るとともに、五穀豊作を祈願する神事。 全国でもこの行事は行われているが特に湖北地方では多く、また外に開かれた行事ではないため集落ごとにオコナイの日程もやり方も異なる。 この唐川の地では毎年二月にオコナイがあるようで、正月に集落の人が集まり玉くじを引いてオコナイの番を決めるのだという。 ![]() |
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赤後寺 | |||
そんな話をしながら早速お堂に上がらせていただくと、正月のお供えがされていた。鏡餅の周りには白菜、ほうれん草、キャベツなどこの集落でとれた供物を捧げられている。 これだけ見ても、この村の人々がこの観音様を丁重に祀っていることがしっかりと伝わってくる。 実際はこの帳の向こうに二躰の観音像がお祀りされているのだが、写真撮影は禁止のため帳を掛けて撮影した。 厨子の中には、平安時代の千手観音立像と聖観音立像が安置されている。観音像は天寿を全うし極楽浄土がえられる「コロリ観音」として知られている。私の前に来たいたという大阪の家族もその御利益を聞いての事だったのだろう。 ![]() |
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赤後寺 | |||
千手観音は九世紀の一木造りで表面にはわずかに木屎漆を使用されているので一見すると木心乾漆像を思わせる丸みのある肉付きのよい姿。 聖観音は十世紀の一木造りで、こちらは足の底に「久留弥多大明神御本地」の書銘が残されている。同名の神社が隣の木之本町にあるのでそこの本地仏であったものがこの地へ移ったのだろう。 しかし二躰の姿は幾度の戦火や災難にあい痛々しく、千手観音にはもともと四十二臂の脇手があったが今は 十二臂だけとなり、頭上の十一面の化仏や手首から先は失われてしまっている。聖観音は両手先とつま先が 失われている。 何度も戦場と化したこの地は、姉川の合戦や賎ケ岳の合戦で被災し、すでに無住となっていた赤後寺では この観音像二躰を村の人が持ち出した。ある時は田の中に埋め、ある時は川の中に沈め観音様をお守りした。 境内にはその時に仏像の枕として使われていたとされる御枕石もある。 ![]() |
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赤後寺 御枕石 | |||
実際にこの石を枕にして川に沈めたかどうかは分からないが、度々の大水によって化仏や光背、手先が流出されたそうだ。 湖北の地は、戦国時代には浅井の領地でありそこを信長の兵が田畑を荒らし寺には火を付けたと伝わっている。 これは信長公記にも書いてあるので間違いはないようだが、その戦火が大きければ大きいほど伝承も大きく彩られるものであろう。 ましてや川に沈め大水で化仏が失われるほどであるならば、体にも石や土がぶつかり傷が付いているはずであるが、この二躰にはそのような傷は見当たらない。 それでも、村の人々にとってはこのような伝承が守り抜いてきた証となり、その伝承が大きければ大きいほど守り続けてきた人々の信仰の篤さをより深く濃いものにさせる。 村の人々はその痛ましい姿を外部の人達に見せたくなく、長らく秘仏として崇めて年に一度しか村人でも拝むことが出来なかった。 その後、昭和44年に2躰共に重要文化財に指定されたことがきっかけで、常時開帳し参拝者には、そのお姿を拝見してもらうことに決めた。 長らく秘仏であったため公開の決定までは15年間も議論したのだという。 ![]() |
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赤後寺 | |||
赤後寺は他の湖北の寺院と同様に無住のため「世話役」と呼ばれるこの集落の住民が交代でお守りをする。 拝観の際も無住のため世話役さんにお堂を開けてもらうという仕組みだ。一日ずつお堂のお守りをする担当が決まっているので、参拝希望の際は事前に予約が必要である。 赤後寺は境内についてからお願いすることも可能なのだが、世話役の方の都合もあるだろうから事前に予約してから伺うことをお勧めする。 赤後寺HP:ナシ 所在地:滋賀県長浜市高月町唐川1055 JR北陸本線「高月駅」下車 車で10分 拝観時間:9:00~17:00(4月~9月) 9:00~16:00(10月~3月) 拝観料:300円 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
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参拝日:2012/01/01 |
Author:butsuzoworld
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