田中神社 戦火を逃れた二躰の観音像【滋賀】
- 2011/12/11
- 20:00
滋賀 田中神社
湖北町という小さな町がある。観音の里として有名な高月町の南に位置し、浅井氏の居城小谷城を東の端にもつ。 その町に「田中」という水に恵まれた小さな集落がある。 琵琶湖は直ぐそこで、水に恵まれており30mも掘れば水脈に当たるらしい。 この対岸には川端で有名な高島市針江地区があり、田中も昔は各家が川端を持ち暮らしていたという。 その名残であろう、集落内には家屋の周りには水路が作られ綺麗な生水が流れていた。 ![]() |
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田中神社 | |||
集落にある田中神社の境内には、戦乱と天災から逃れた十一面観音像と聖観音像が 祀られている。今回は同じ田中の集落にある光照寺の藤居義正住職に立ち会っていただき 拝見する機会を頂いた。 田中神社の北側には325mの小高い山本山があり、まるでお碗を伏せたような形をしている。 この山にはその昔、平安末期に築城された城があり城主である山本判官義経が平家と戦ったという。 ![]() |
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西田中神社跡 | |||
この田中神社は、現在の位置より約300m真西の西田中神社が平家との戦いの際に焼失し 後に移されたもので、今回拝見した二躰の観音像も西田中神社に祀られていたと伝えられている。 西に行くと西田中神社の碑があったが、現在のその地は田圃になって面影は残されていなかった。 織田信長の戦乱の世には焼却され、文政二年(1819年)の大地震でこの二躰が倒れ十一面観音像の 化仏八つが落ち、左手が肘から折れてしまった。その仏像を彦根新町(七曲)の塗師 惣兵衛に頼んで修理をしたとこの神社に残る古文書に記されている。 ![]() |
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田中神社 観音堂 | |||
その後、現在の位置に安置されて今に至るのだが、もとは三十三年に一度のご開帳であったそうだ。 御開帳の当たり年である昭和三十年に現在の瓦葺きの本堂に改築された。 ![]() |
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田中神社 十一面観音立像 | |||
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田中神社 十一面観音立像 | |||
二躰の仏像は長い間に田中の人々により何度も修復されている。 十一面観音は、頬の厚いまろやかな表情をしており平面的な衣と細身で腰辺りから足元にかけては この時代らしい紡錘形をしている。平安末期の作で右の耳たぶの欠損や左の頬には欠けているところもあり この観音像の数々の災難が刻まれているようだ。 ![]() |
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田中神社 | |||
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田中神社 | |||
聖観音はまるで子供のようなあどけない顔つきで、形式化された衣紋など都の仏像とは違い地方色が 色濃く出ている。 手には日輪を持っているので日光菩薩かとも思えるが両方の手肘から先、持物が後世の補修によるもので 正確な菩薩の名は分かっていない。 ![]() |
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田中神社 | |||
この二躰はどちらも大切に堂内に安置されており、この日は案内していただいた藤居住職だけでなく鍵守りの方が見えてお堂を開けていただいた。恐らくこの村のルールで鍵守りと世話方が分かれているのだろう。 こうして寺の人間がいなくなっても守り続けてゆく姿というのが湖北の特徴で、 この日もわざわざ私のために、田中神社と仏像に関しての縁起を紙に書いてくれていた。自然や暮らしだけでなく仏像を守る人の温かさに触れることが出来るのも湖北の魅力だ。 田中神社HP:ナシ 所在地:滋賀県長浜市湖北町田中 JR北陸線「河毛」駅下車 徒歩約50分 拝観時間:要予約 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
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参拝日:2011/12/01 |
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