盛安寺 ふくよかな四臂の十一面観音像【滋賀】
- 2011/11/20
- 23:00
滋賀 盛安寺
西国三十三観音巡礼の札所でもある滋賀県大津市の園城寺(通称三井寺)から京阪電鉄の石山坂本線沿いに北に行くと穴太という静かな町がある。 延暦寺のある比叡山東の山麓で、丘陵地となっている。東を望めば琵琶湖が眼下に広がりその琵琶湖の向こうには三上山がそびえる。 この地には穴太衆という石工の集団が拠点としており、割り石を使わず天然の石だけを巧みに積み上げる穴太積みという技法を持つ。彼らは安土、江戸、名古屋、彦根などといった数々の名城の石垣を手がけた日本有数の特殊技能者であり、彼らが拠点とした穴太の地に建つ盛安寺の石垣はまるで城郭のように見事に組まれている。 ![]() |
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盛安寺の石垣 | |||
創建について確かなことは判らないそうだが室町時代の天文年間(1532~1555年)に、越前朝倉氏の家臣杉若盛安によって再興され、自分の名を付け盛安寺としたと伝えられている。 盛安寺の本堂は市の文化財に指定された桟瓦葺の建物で、今回は拝見する機会がなかったがこの奥にある客殿は17世紀前半に建てられ、重要文化財にも指定された立派な建造物である。庭園も見事で特別拝観のシーズンには観光客で賑わうのだとか。 ![]() |
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盛安寺 右が本堂、左奥の白い建物が観音堂 | |||
盛安寺の境外地に観音堂があり、今回はそこに安置されている十一面観音像を拝見させていただいた。 今は廃寺となったが、この盛安寺の南西4~5キロの山中にあった崇福寺に安置されていた観音様だと伝わっている。 ![]() |
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旧観音堂 | |||
もともとは、現在の観音堂の手前にある旧観音堂に安置されており、そこは辻堂とも閻魔堂とも呼ばれてきた小さなお堂だった。現在は他の仏像などと共に保存環境の良い収蔵庫も兼ねた新しいお堂に移っている。 通常はは五・六・十月の毎週土曜日とGW、正月三が日のみが拝観期間となっており、私の訪れた日はこの期間に該当しなかったが特別に拝観の許可を頂けた。庫裏へ向かうとすでに観音堂の扉を開けているとのことで、本堂を抜け道を渡った先の観音堂へ向かう。自らの足で自分の会いたい仏像に会うというのはなんとも気持ちよく、この待ち時間を自ら縮めていくという作業は大変美しいものである。 ![]() |
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盛安寺 観音堂 | |||
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盛安寺 | |||
開けられた観音堂には正面に十一面観音、向かって左に閻魔王、聖観音、右に地蔵菩薩と阿弥陀如来が安置されている。 十一面観音は等身大よりやや背の高い179.1cmの一木造りで、密教独特の威圧感が感じられる。伏し目で鼻や口は彫りが深く日本人的なふくよかな頬をしている。すっと伸びた足の長さと比較すればアンバランスな感じも受けるがそれだけ顔が大きく彫られているからなのだろう。そして、十一面観音には珍しい四臂(腕が四本)の観音様。 ![]() |
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盛安寺 | |||
左の第二臂は錫杖を持ち、右の第二臂は仏花を持つ。この左右のニ臂が全体的な拡がりをみせている。十一面から千手に変わる過渡期だろうが、観音様の手というのは人間の欲が生み出したものなのかもしれない。もっと救って欲しい、もっと叶えて欲しいという欲が、頭上の十一面だけでは足らずに手を増やす事になったのではないかと思う。 こうゆうことは美術的に見る方には不満があるだろうが、古仏というのはそういったその地に住まう人たちの思いが強く現れるものだろう。 ![]() |
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盛安寺 | |||
崇福寺というのは天智天皇の勅願によって天智七年(668年)の大津遷都の翌年に建立された寺院で、どうしても行くたくなり近所の人に聞きながら山の奥の奥へと向かってみた。 途中に古墳や志賀の大仏と呼ばれる阿弥陀如来の石仏があった。この石仏がなかなか立派で高さは約3.5m、幅約2.7mの花崗岩に掘り出したもので13世紀の室町時代に作られたものと伝わっている。この崇福寺への山道というのが崇福寺を抜けて京都の北白川へ抜ける旧山中越えで旅人の道中を祈願して出来たものなのだろう。 ![]() |
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崇福寺跡へ至る山道 | |||
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崇福寺跡 金堂跡 | |||
途中からは車で上がることも困難で歩いて登ることにした。尾根の3箇所にお堂の跡があり一番北の尾根は弥勒堂跡、中の尾根は小金堂・塔跡、南の尾根は金堂・講堂跡となっている。何の準備もなく登ったために今回は手前の南の尾根にある金堂と講堂あとまで登ってみた。 高台からは琵琶湖を眼下に見下ろす事が出来、今では桜の木で遠くを望むことはできないが、山の尾根を使った崇福寺は大寺であったことは用意に想像が付く。しかし、その後の調査でこの南の尾根は崇福寺ではなく桓武天皇が天智天皇追慕のために建立した梵釈寺とする説が有力なようだ。そうなると崇福寺はその北の尾根にあったというわけなのだが、平安時代には東大寺や興福寺とともに十大寺の一つに数えられた大寺院であった。再三の火災で鎌倉時代以降は廃寺となり姿を消した。 盛安寺HP:ナシ 所在地:滋賀県大津市坂本1-17-1 西大津バイパス滋賀里ランプから約5分 湖西道路下阪本ICから約10分 拝観時間:要確認 拝観料:300円 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
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参拝日:2011/11/09 |
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