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日本全国の仏像や寺院の情報を解かりやすくお伝えします。
六世紀末から七世紀末までの約一世紀の間を飛鳥時代と呼ぶ。 現在の奈良県高市群明日香村がその場所で、推古天皇をはじめ天智天皇、天武天皇がここに宮を置き、日本の中心として栄えた場所である。 明日香は今では穏やかな田園風景と遺跡が残り、岡寺や飛鳥寺、高松塚古墳など多くの名所が残っている。 文化史で言えば飛鳥文化、白凰文化が華開いた時代がそれだ。 今回はそんな明日香でも「奥明日香」を目指してみた。 男綱(おづな)と女綱(めづな)という勧請縄が掛けられた二つの集落に向かう。奥明日香は石舞台古墳を南に行った稲渕や栢森、入谷といった集落を指す。
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稲渕の棚田 | ||||
石舞台古墳から歩いて30分、車なら4~5分の距離にある稲渕集落は棚田でも有名で、秋には黄金色に輝く稲穂と彼岸花のコントラストが楽しめる。 この稲渕の棚田の少し先に「男綱」があり、そこからさらに2キロほど南下しところに栢森集落がある。その集落に掛けられているのが「女綱」だ。 ![]() |
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男綱 | ||||
この綱掛けは勧請縄といい、この地域だけでなく日本中で見ることが出来るが、今もこの綱掛けをしている所は少ない。 これは、五穀豊穣、子孫繁栄を祈り、さらに飛鳥川をつたい疫病が入りこまないようにするための綱掛神事である。 それぞれが飛鳥川をまたいで掛けてあり、それぞれの縄が結界の役目をしている。 今回は栢森のさらに先の山奥である入谷地区の地蔵寺の拝観とあわせて地蔵寺と栢森の龍福寺を兼務されている岡村静彦住職に話しを伺うことができた。 ![]() |
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栢森龍福寺 | ||||
住職に男綱と女綱のことについて聞くと、 稲渕からの悪疫を防ぐのが栢森の女綱で、石舞台など明日香中心部からの悪疫を防ぐのが稲渕の男綱だという。 ![]() |
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男綱 | ||||
その縄もただの縄が掛けられているのではなく、その名の通り男綱には男性のシンボルが、 女綱には女性のシンボルが掛けられているのである。縄の中間に性器を模したものが掲げられているのだ。 ![]() |
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女綱 | ||||
綱掛神事は正月の十一日が女綱の綱掛で、成人の日にあたる連休の日曜日が男綱の綱掛けである。 そして、今回お話を聞かせていただいた岡村住職は女綱の神事をされている。 この2つの綱掛神事はそれぞれの集落が行う行事であるが、男綱は神式であるのに対し、女綱は仏式で行われるのが特徴である。 ![]() |
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女綱 福石 | ||||
女綱の綱掛け神事は、福石と呼ばれる石の上に祭壇を設け住職による法要が営まれる。 法要が終わると村の人々が、対岸にわたり女綱を掛け渡し、それまで掛けられていたものは、 一年を感謝しその日に燃やすのだという。 日本に幾つもある勧請縄の中でも、このような一組になっているものは珍しいのではないだろうか。そして、勧請縄を掛けるというのは都が飛鳥におかれていたころ、この飛鳥川は農耕社会において、大切な命の水であり、雨を祈る信仰の対象となっていた。 その水源神をまつるのが、飛鳥神奈備(かんなび)といって飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ、あすかにますじんじゃ)が829年までに鎮座していた所だという。 その頃からこのふたつの勧請縄は、神のまもりとして掛けられていたのだろう。 ![]() |
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栢森 | ||||
栢森地区が仏式で行われることに関しては、この行事を行う宮司が栢森にいないというのが理由だという。 この栢森ものどかで静かなところではあるが、スーパーなどもなく橿原まで出て一週間分の買い物をして帰ってくるといった不便さもあり過疎化が進んでいるのだという。 観光地から離れた奥明日香の深刻な問題でもあろう。 また、現在は女綱の掛かる飛鳥川は観光整備で護岸工事が行われている。 昔から続く飛鳥川の風景も少しづつ変わっているようだが、それでも奥明日香には中心部とは全く違った空気が流れている。 所在地:奈良県高市郡明日香村大字稲渕(男綱)、奈良県高市郡明日香村大字栢森(女綱) 男綱へは石舞台古墳から車で約5分、徒歩で約20分 女綱へは石舞台古墳から車で約10分、徒歩で約50分 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
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参拝日:2011/08/31 |
Author:butsuzoworld
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