慈恩寺 脇手を頭上に伸ばす観音様のご開帳【岐阜】
- 2011/08/13
- 15:00
岐阜 慈恩寺
8月10日朝。 この日は前日の夜10時過ぎから明けの1時まで三重県へ林光寺と子安観音寺のご開帳へと行き夜中に帰宅。 5時間くらいは寝ただろうか、それでも日頃の生活リズムや疲れもあり体が重たい。 テレビの天気予報では37度くらいまで気温が上がると言っている。しかし8月10日のご開帳はあと一カ所残っている為にのんびりもしていられない。 ![]() |
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岐阜市溝口 | |||
早速車を走らせ、午前中のみがご開帳という岐阜市慈恩寺へと向かった。慈恩寺は岐阜城の北を流れる長良川を8キロほど登った溝口という街にある。 長良川と小高い山に囲まれた土地で、夏らしい緑に染まった田園風景の中にある。かつては天台宗の寺院でいまは西山浄土宗の末寺である。 ![]() |
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慈恩寺 | |||
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慈恩寺 | |||
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慈恩寺 右が本堂左奥が観音堂 | |||
この慈恩寺は、1月1日~3日と8月9日、10日のどちらも午前中のみ収蔵庫が開扉される。 広い境内を進むと楼門があり、その正面に小さな観音堂があった。到着したときは11時を過ぎていたため、参拝客はみられず右手の本堂で数人の檀家信徒さんたちがテーブルや椅子などの片付けをされていた。 きっと、もう少し早い時間にはこの町の人達が集まり賑やかだったに違いない。 私が拝観している間にも、一人の女性が自分の畑でとれたものだろう、野菜を庫裏の方へ持って行き、何やらお寺の方と雑談をされていた。 こうした風景が今でも残っていることを大切にしなくてはならない。お寺とその町の人達が関係するからこそ、そのお寺は成り立ち、またこうしたご開帳という機会があるのだから。 ![]() |
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慈恩寺 本堂 | |||
観音堂はこの地域によくあるサイズの小ぶりな収蔵庫といった感じで、本尊の千手観音が一躰収まるほどの広さ。お堂の中に上がることはできないが、お堂の外からでも2メートルほどしか離れていない近い距離で観音様を拝むことが出来る。 ![]() |
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慈恩寺 本尊千手観音坐像 | |||
慈恩寺の秘仏千手観音坐像は平安期の作で、もともとこのお寺にあったわけではなく、もう少し長良川を登ったところにある津保という集落の満願寺に祀られたもので、その像と慈恩寺の阿弥陀像と交換することになり、現在の慈恩寺に安置されている。 慈恩寺の千手観音坐像は、平安時代藤原期の作で手前の4手は合掌手と宝鉢(ほうはつ)手となる。 すべての手に持物を持ち、特徴的なのは肩口からの二臂がスーッと宝髻(ほうけい)の頂上仏の上まで伸び小さな阿弥陀像を捧げ持った珍しい姿をしている。 これは京都の清水寺の秘仏千手観音と同じことからこのような姿を清水寺式という。国内でもこの姿を持つ仏像は非常に少なく、また坐像となるとかなり珍しい。 顔はつり目がちで、口元は堅く結んだ幼さを感じる顔立ち。女性らしさを感じたのは少しふっくらとした胸元が印象に残っているからかもしれない。光背は後補であるが放射状に小手が一面に彫られている。持物、蓮台も候補となる。 ![]() |
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慈恩寺 本尊千手観音坐像 | |||
一年のうちにわずか五日間。 しかも午前中のみとあって拝観する機会には、なかなか恵まれないがそれだけに今でも綺麗な姿を残しているのだろう。 前日の夜に林光寺をスタートした観音様の縁日に3ヵ寺を訪れることができた。 慈恩寺HP:ナシ 所在地:岐阜県岐阜市溝口中138-1 JR「岐阜」駅より岐阜バス13番乗り場で加野団地線三輪釈迦前行き、約45分で「福富口」バス停下車(560円)、そこから南進し「福富迎田」交差点を東進(左折)、「岐関大橋西」交差点を南進(右折)し数メートルで右手に慈恩寺。徒歩15分 拝観時間:ご開帳時は観音堂が午後12時まで開扉 拝観料:志納 その他詳細情報は仏像ワンダーランドHPへ>>
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参拝日:2011/08/10 |
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